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一年の行事とお菓子

元旦

1月。新しい年を迎え、この一年の健康と幸せを皆で祈ります。このハレの日に相応しいのが”鏡餅 ”です。お餅は私達の先祖が創り出した和菓子のルーツといえるのではないでしょうか・・・

また最近人気が上昇してきたお菓子に花びら餅があります。白地にほんのり透けて見える紅色に新春の寿ぎが感じられるのが人気のもとでしょうか。

鏡餅

大小一対の餅を丸い山型に作り、お正月の床の間や神棚に飾ります。このときに縁起物として板昆布・ダイダイ・ウラジロなどを飾りとしてのせます。地方によると畑の「ふち」に祭壇を設けて、鏡餅を供える所もあります。田の神と共食をし、秋の豊作を願う意味のものです。

そうして1月11日、「鏡開き」が行われ、飾られた鏡餅を家族一同で下げ、槌を用い刃物を使わず手で割って、雑煮・汁粉にして食べます。縁起をかつぎ欠くとか割るとか言わず「開く」といったわけです。

花びら餅

丸い白餅(あるいは求肥)の上に紅の菱餅をのせ、味噌餡と砂糖煮にしたごぼうを置き、半円上に折り畳んだもの。宮中や神社等の正月行事にちなむもので、明治時代に裏千家が宮中より許され発釜(新年に初めて行う茶事)煮使うようになったと伝えられます。最近では12月末から新年にかけてデパート等でよく見かけるようになりました。

エピファニー(Epiphanie)

1月6日。キリスト教の祝日。御公現、主顕節ともいわれます。東方の3王(博士)の来訪により、キリスト教が神の子として公に現れた事を記念する日。この日家庭では、ガレット・デ・ロア を食べて楽しむ習慣があります。

ガレット・デ・ロア(galette des Rois)とは

祭礼菓子のことで、ロアとは、国王の意で「王様のガレット」の意味になる王冠形などに作られ、王冠飾りをのせたりするガレットの中にフェーブ(そら豆)と呼ばれる小さな陶製の人形が一つだけ入っており、ケーキを取り分けたとき、その人形の入ったケーキに当たった人には、その夜一晩王様、王女様になれる楽しい遊びがあります。

節分

2月3日。季節の移り変わる時。立春・立夏・立秋・立冬の前日。特に立春の前日の事をさし、その夜を年越しといい、家々の門戸に柊の枝に鰯の頭をつけたのを刺し、「鬼は外、福は内」と言いながら部屋の中から庭に向かって元気よく豆を撒きます。

”新しい年を迎えるに当たって、鬼を払う。そして新しい出発を祝うのです。”そうして大豆の煎った豆を、歳の数に1つプラスした数だけ食べる習慣があります。

セント・バレンタインズ・デー(St.Vaientines day)

2月14日。西暦270年の2月14日、聖バレンチヌス司祭が殉教した日。

当時の皇帝クラデイウス2世は、強兵策の一環として兵士たちの結婚を禁止していました。しかしこれに反対してバレンチヌス司祭は、多くの兵士たちを結婚させたため皇帝の怒りをかい、ついに処刑されたと伝えられ、以来この日をローマカトリック教会では、司祭の死を悼む宗教的祭日としました。

しかし14世紀頃から、愛の記念日として女性から愛の告白ができる日となりました。また、ヨーロッパではその頃から春のさきがけである小鳥の愛の囁きが始まる日であるとの言い伝えもあります。

ヨーロッパでは、ハートの形と赤い色がバレンタインの象徴とされていますが、日本ではチョコレートの贈り物が一般的です。菓子業界にとってバレンタインデーは一大イベントです。

ホワイト・デー(white day)

3月14日。2月14日に聖バレンテイヌスが殉教して1カ月後、男女が永遠の愛を誓いあったという故事に由来する。バレンタインデーに女性からチョコレートなどのプレゼントをもらった男性がその女性にお返しするというもの。

その頃になるとデパートの売り場に贈り物を探している男性の姿をよく見かけるになりました。ちなみにこの日を「ホワイトデー」と名付けイベントを仕掛けたのは、福岡の和菓子メーカーであり、昭和52年頃から始まり、今ではバレンタインデーと一対になり多くの人たちが楽しめるイベントになっています。

雛の節句

3月3日。この日に人形(ひとがた)で身体を撫で、けがれを移し、川へ流して身を浄めたのが始まりと言われています。

いつしかその習わしが雛人形を飾り、女の子の健やかな成長を祝う行事へとなりました。その人形たちに雛あられ・菱餅・白酒・桃の花などを飾り、楽しいひとときを過ごします。

菱餅

菱形に切った餅で、紅は桃の花を表し、雪は白、草の緑、この三色が今では一般的です。また地方によっては、5色(白・青・紅・緑・黄色)の菱餅もあります。

雛あられ

雛祭のお供え菓子として代表的なもので、あられには有平糖が入っています。

お彼岸

3月21日。春分、秋分(9月23日)の日を中日に、その前後各三日をあわせて7日間。春の彼岸、秋の彼岸といい、人々は先祖のお墓参り、供養します。こうのような風習は随分古くからあるようです。しかし、彼岸の期間が今日のようになったのは、幕末の弘化元年(1844)からで、それまでは春分、秋分の翌日が彼岸の入りであったと定まっていませんでした。

いずれにしても春分、秋分に近いところでお墓や寺院に参詣するほか、農事や生活の上で重要な目安になっていました。ことに「暑さ寒さも彼岸まで」というように、厳しい寒暑もこの頃になるとしのぎやすい陽気になります。

また彼岸の中日には太陽が真東から昇って、真西に沈む。その太陽が沈んだ彼方に極楽浄土があると信じられてきました。たとえば大阪では、四天王寺の西門が極楽浄土の東門に当たるとされ、彼岸の中日の夕日を拝む人が参集し、その風習は今日もなお続いています。

*このお彼岸に欠かせないお菓子が、春には“ぼた餅”、秋には“おはぎ”がありご先祖さまにお供えをします。

イースター 復活祭 (Easter)

キリストの復活を記念する祭りで、春分後の満月直後の日曜日に行う祭事。また同時に待ちかねていた春の訪れを喜び合うお祭りです。

イースターケーキ(Easter cake)

イースターエッグ(Easteregg)、仏語でウフドパック(ceuf de paques)とは・・・ 卵の形が命の源、生命の復活の象徴として、イースターの贈り物にする殻に彩色したゆで卵のこと。また卵に似せたチョコレート菓子やケーキが、お菓子屋さんのショーウインドーに置かれお祭りに彩りを添えます。

エイプリルフール、(仏)ポアソン・ダブリル

4月1日、小さな軽いウソをついたりして、他人をかついだりすることが大目にみられるユーモラスな一日です。

ポアソン ダブリル(Poisson davrii)

ポアソンは「魚」、ダブリルは「4月」、ここで言う魚は、ちょうどこの頃によく釣れる”さば”を指しています。この魚をモチーフにしたパイ、チョコレートが作られます。

すずらん祭り、(仏)フェート・デ・ミュゲ(Fete des Muget)

5月1日 すずらん祭り。フランスでは、幸せのシンボルとされるスズランのブーケを親しい人に贈りあう習慣があり、ショーウインドーにはスズランの鉢植えをかたちどったアントルメ・アメ細工のお菓子が並びます。

端午の節句

5月5日。3月3日が女の子の節句に対し、この日は(武家社会の風習を今に伝える)男の子の健やかな成長と立身出世を祝って鯉のぼりや兜と人形などを飾ります。また菖蒲湯に入り、邪気を払います。

柏餅

端午の節句と言えば、この和菓子です。新粉で円形の平らな餅を作り蒸し上げ、中に小豆あんや味噌あんを入れ、二つ折りにして柏の葉を包んだものです。古くは柏の葉を食器として使用したいたと考えられ、神聖で凶事など災難を祓うものと信じられていました。また柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないため、家系を絶やさないという縁起の意味をもあるといわれています。

6月

欧米では、6月の花嫁ジューンブライトと言われるように夏にむかって結婚式の季節です。その時に一段と華やかさを演出するお菓子に、クロカンブッシュというお菓子があります。

クロカンブッシュ

洗礼・結婚式など大切な催しに用いられる古典的で大型のお菓子のことです。クロカントで作った飾り台の上に、小型のシューまたは菓をたくさん円錐状に積み上げ、煮詰めた糖液をシューにかけて接着し、頂上にはその日のお祝いにちなんだ飾りやアメ細工の花などをつけます。

七夕

陰暦の7月7日。東京などは陽暦7月7日に行っていますが、陰暦で行う地方も多い。よく知られたところでは、”仙台の七夕祭り”があります。元々は6日の夜から翌朝にかけての行事であった。牽牛星と織女星とが年一度だけ願いが叶って会えるというこの夜に、この二星を祭って裁縫や書道などの習い事の上達を祈願すれば望みが叶うという、中国に始まった風習で日本にはすでに奈良時代に伝わっています。「七夕(しちせき)」は五節供のひとつで、これを「たなばた」と読むのは我が国固有の”棚機つ女(たなばたつめ)の伝説と織女星が結びついたからといわれています。

ちょっと説明しますと・・・古くは七夕といえば夏と秋がゆきあう祭りでした。この時期に村外れに作られた棚で来臨する神のために機(はた)を織るのが棚つ女。そして神の帰る折りに七夕竹を立てて、七夕流し、七夕送りをしました。このように七夕はお盆とも結びついています。またこの日に七夕竹を立てる風習も日本独特のものです。

天の川

「天の川」は、天の川を境としてきらめく星を見立てたもので、緑の琥珀羹に白羊羹の帯を斜めに置き、白胡麻を散らしています。七夕の星を夢想させ、夏の宵の風情が透明感に漂います。

見た目の涼しさに加え、原料の寒天は繊維質に富み、暑い夏でも食べやすいもの。外見はゼリーに似ていますが少し固めで、冷やした時の感触もよく、夏菓子としてお勧めです。(写真提供:虎屋)

お盆

旧暦7月15日を中心とする前後一連の魂祭り。今日では月遅れで8月に行うところが多い。かつては1年を2期に分けて、それぞれの開始期にあたって祖先の霊を迎えて魂祭りを行いました。それが正月とお盆です。前者は生きている者にとり、最も改まった行事として神事のお正月、後者は死者の霊を慰める最も大切な行事として仏教と結びついたお盆となりました。

盆の期間は7月13日の精霊迎えから、16日の精霊送りをいうのが普通です。祖先の霊を家に迎え、供物を供えて供養する風習は仏教の教えとは別に、我が国固有の魂祭りに関係があると言われています。今のお盆になったのは、室町時代以降と推定されています。お盆の間、精霊をお迎えする棚が精霊棚です。

例えば、京都では13日=到着膳。14日=白粥にお茶。15日=白蒸し(小豆を入れないおこわ)。16日=送り団子。というように心を込めてお迎えします。

中秋の名月

陰暦8月の十五夜、9月の十三夜の名月に月見団子 やその年に収穫したいも類・栗などを供え観月をします。

十五夜とは

古くから中国では陰暦の8月15日を、中秋の名月として観月する習慣があり、日本へも9世紀頃伝わったということです。

十三夜とは

日本独自のもので陰暦の9月13日を、中秋の名月に対し「後(のち)の月」と呼び、別名「栗名月」とも言われています。

重陽の節句

陰暦9月9日は重陽。陽数の9を重ねためでたい日で、いわゆる”菊の節句”です。もともと菊の花は、その気品と香気が邪気を払い寿命を延ばすと考えられていました。特に名高いのは菊水信仰。中国河南省の山中に大きな菊があり、その滋液が谷川に染み入りこれを飲む下流の人々は長寿を保ったという伝説です。

この風習は日本にも伝わり、平安時代には宮廷儀式となり、江戸時代になると五節句のなかでも最も重んじられるようになりましたが、わが国では着せ綿や菊会という風習も加わり、独自のものになったようです。着せ綿は、菊の花を綿で被いその香りや露を移し、翌朝その綿で身体を拭うと長寿が叶うというものです。また今日秋になると菊人形展や菊の品評会が各地で開催されますが、この流れをくんでいると思われます。

重陽の節句は、桃の節句、端午の節句などに比べると馴染みが薄いようですが、秋の一日、菊のお酒を飲んで長寿を祝うひとときを過ごしてみては如何でしょうか...

ハロウイーン(Halloween)

10月31日、キリスト教の大切な祭日のひとつである万聖祭の前夜祭。古代ヨーロッパの原住民ケルト族の収穫感謝祭がキリスト教と現在のハロウイーンになったと言われています。ケルト族にとって1年の終わりは10月31日 この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女も出てくると信じられていた。これから身を守る為仮面をかぶり、魔除けの篝火を焚いた。

これにちなんで、子どもたちはジャック・オ・ランターン(お化けカボチャ)にローソクを立てて、魔女やお化けに仮装して31日の夜、近くの家を1軒ずつ訪ね「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ(Trik or Treat)」と唱えて家々をまわり歩きます。家庭では、カボチャの菓子を作り、子どもたちはもらったお菓子を持ち寄り、ハロウイーン・パーテイを開いたりしています。

カボチャをかたどったお菓子

ハロウイーン・パーテイのお菓子として、デコレーションに猫の頭や南瓜のお化け、妖精を用いたハロウイーンケーキが有名です。またこの他、ジャック・オランタン・カップケーキ、顔を描いたクッキーなども一般的です。

七五三祝い

11月15日。男の子は3才と5才。女の子は3才と7才の歳の11月15日に成長を祝ってお宮参りをします。その子どもたちの姿を見ると、あの子どもの頃の懐かしい情景が自然と思い出されます。そのときに子どもたちが手に持っているのが、千歳飴です。

千歳飴

さらし水飴を煮詰めた引飴を、紅白に染め分け細長い棒飴につくり、松竹梅・鶴亀などの絵柄の長い手提げ袋にいれたものです。あの棒飴の長さとねばりは、長寿を意味する縁起とも言われています。

ここで“飴” について一言・・・

“飴”は「あま」、「あまい」が語源とされ、日本書記(720年)にも飴の記述があります。古くは神へのお供え物とされ、平安朝では貴族の薬用にされていました。その後、飴は長い間大きな発展をみないままでしたが、ようやく江戸時代の始め (17世紀初め)になり、麦芽を使い大量に生産されるようになりました。製法は、もち米を蒸し、麦芽の粉とぬるま湯を加え甘酒のようにし、それを漉して煮詰めていました。

あの千歳飴ができたのもこの頃です。江戸に出てきた大阪の浪人が、飴をつくって千歳飴と名付け浅草寺境内で売り出し大変評判になり、のちにこの名が喜ばれ七五三の祝いやお宮参りのみやげとなしました。

飴菓子加工品の最高といわれるのは求肥飴ですが、江戸時代の初めにはすでに上菓子としてもてはやされていました。

亥の子餅

陰暦10月初めての亥の日に祝い食べる普通の丸餅(関東ではのし餅)。たとえば白・赤・黒の3色の小さな餅に、しのぶなどの添え花をして檀紙や奉書で包み、紅白の水引を1本又は2本かけます。これをお亥猪包みとかいいます。

もともと宮中の行事菓子で、召し上がるのではなくお守りのようなものだったといいます。そしていつしか民間に伝わり、亥の日に餅をつき神仏に供え、この餅を食べると無病息災が叶うという風習が伝わっています。また亥は猪に通じるため、猪の多産にあやかり子孫繁栄を願ったりする意味もあるようです。

冬至

24節気のひとつで、陽暦12月22日ごろ1年中で最も日中の時間が短くなり、この日を境に次第に日が長くなりますが、反面寒さがこの頃から次第に厳しくなり、節分の頃までが最も寒さが厳しい時期に入ります。

こうしたなか一陽来復の春を願って、さまざまな祭りが今日まで伝わっています。そのような時、冬至の夜柚子湯にはいり、かぼちゃなどを食べる習慣があります。柚子には独特の香りがあり、魔よけの役割もあると考えられています。人々はエネルギーを貯え、春に向かって厳しい冬を乗り切っていきます。

クリスマス(Christmas)

12月25日、イエス・キリストの誕生日を祝う降誕日。街にはクリスマスソングが溢れ、私達の国でも大変馴染み深い日ですが、このクリスマスに欠かせないお菓子にクリスマスケーキがあります。一口にクリスマスケーキと言っても、各国ではいろいろな特色があります。いくつかピックアップしてみましょう。

フランスでは
ビュッシュ・ド・ノエル(buche de Noel)。ロール状にしたスポンジにクリームを塗り、表面を木の皮に絞って丸太の形にしたケーキ。ヒイラギやメレンゲのきのこなどを飾ります。

イギリスでは
プラム・プデイング(plumpudding)。このプラムとはレーズンをさし、それにレモンやドライフルーツを刻んだものにコニャックに2ヶ月ぐらい漬け 小麦粉・卵・牛のケンネ脂に混ぜ込んだものを蒸し上げます。これにラム酒をかけ点火したします。

もっと詳しく知りたい人へ ・・・

  • 世界の菓子PCG 全日本洋菓子工業会 平成10.1月号
  • 百菓辞典 山本候充 著 東京堂出版 平成9.8.30版
  • 日本の菓子 亀井千歩子 著 東京書籍 平成8.8.8版
  • 和菓子歳時記 千 澄子 著 国際情報社 平成2.3.28版
  • たべもの歳時記 楠本憲吉 著 桜楓社

などいろいろ出版されていますので、ぜひ一読してみてください。

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